カテゴリ: スイートロード代表、中村昌義が語る「昭和という時代の魅力」

今日は朝6時半起きでした。

東京足立区北千住のマルイ店で11月29日まで

アンティークウオッチフェアの準備でした。

マルイ店の中でも大型店です。

一度行って見てください。


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北千住はとてもいい下町です、人情を感じるね、

小さな定食屋に入ったら驚いたね”””””こんなメニューが・・



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働いてる(おばちゃん)はとても気さくで、

お客さんは殆んど年配のおじちゃん(オッチャン)達ばかり、

昼間っから酒やビールや焼酎を飲んで、けっこう盛り上がっている。

飯を食うつもりが、雰囲気で。。。


(おばちゃん、酒とサバの味噌煮とニンニクと豚の炒め物ください。)

(はーーい。サバは大きいのにしてあげるよ)


いいネ。やさしいネ。北千住は最高だネ。

足立区は俺が高校の頃まで育ったのでとても愛着がある。

町並みはだいぶ変わったが昔からの駅前の果物屋はしっかり頑張っていたね。

マルイのイベント期間中は俺も出来るだけ行きたいよ・・・・

夕方、5時頃には昔よく出入りした串揚げ屋に(立ち飲みや)俺は必ずいます。

(5時から男のグロンさん)



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11月1日、AM11時、新しいお店が開店します。
(SX70/by/SWEETROAD)です。

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35mmフイルムカメラを中心とした、ニュースタイルのショップです。
    
勿論、Polaroid・SX70も以前よりパワーアップしており、ポラロイドフイルムも、

心配なく皆様に楽しんで頂ける環境になっております。

スイートロードよりも、サイズは広いです。

今回の構想は2年くらい前からありました。
    
以前、このスペースは時計修理の職人さんを数人常駐させ、

インターネットチームも居ました。

十数年間スイートロードを支えた裏方の場所です。
    
1950年代〜1970年代のアメリカ。。ヨーロッパ。。など等・・・・

私なりに新しい空間をイメージしてみました。

スタッフが一丸となり、頑張り、多くの職人さんの協力もありました。

また、私自身が多くの経験をさせて頂き、チョイト、だいぶ、変な、面白い、
    
お客様が楽しめる様な店です。ご来店心よりお待ち致しおります。。

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《スイートロードのミニ歴史です!》 

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1993年9月吉日、、現在のお店を立ち上げました。

しかしオープンしたのは10月です。
    
スタートした時のメンバーは3人でしたので

1500本以上の時計を陳列するのに

(テプラ)など無い時代でしたので、手書きで値札を書き、とても大変でした。

時計以外にも当時は、てんこ盛りの雑貨が所狭しと置かれていました。

あれから17年と2ヵ月がたち、たくさんのご来店して頂いたお客様に
    
支えられ今日まで頑張れました。

今後とも宜しくお願い致します。

           株式会社 スイートロード 代表取締役 中村昌義
        

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ザ・20世紀

世界の紀元は1990年で20世紀は終わり、今は21世紀である、
一世紀は100年らしいから今生きてる人類は新世紀を
少なくとも経験している。
少ないと言ったのはまだ19年しか経っていないからだ。
チョット今日は(20世紀中期)にタイムスリップしてみたい。

この時代に俺は(以前にも話したが・・)
ロシアで(旧ソ連)で生まれている。
この時の記憶はうる覚えである。



家はかなり裕福だったらしく俺たち3人兄弟には執事が一人一人付いており
(兄貴の名はワロージヤ)(弟はウオフカ)(俺はウィーチャー)
俺たちの世話をしてくれた。
俺をみてくれた人の名前は記憶がない。片足がなかった事は知っていた。
よく肩車をしたり散歩に行った事は、うっすら覚えています。
日本に帰国してから、おふくろに聞いた事があった。
「あの人はどうしたの??」
おふくろは中々言いたがらなかったが
家に泥棒が来て追いかけて亡くなったらしい。。。

オヤジは俺たちに日本の名前もつけてあった。
これも後から分かるのだが
日本に無事に帰れる保証は無いので
家族がバラバラなった時に
兄弟だけは再会しやすいように名前の頭文字を
兄貴は「昌純」弟は「昌一」俺は「昌義」と命名した。。
オヤジも戦後の動乱期に外地で生まれた
俺たちの事をいろいろ考えてくれたのだろう。

俺が当時(五歳だと思う)一番記憶に残っているのは
駅舎には沢山の魚のニシンが置いてあった。
兄貴は両手にニシンを持ちトコトコ、歩き

俺は大きな木樽をゴロゴロ転がし家まで、

駅舎から家まではゆるやかな坂だった。
この時おふくろには、(よくやったと・・)と誉められたので
子供は(特に俺は)誉められた事は、よーく覚えているのだ。
この時代でもこれは立派な泥棒だ・・・
54年前の話だから・・判決は・・時効である。。

ヤバイから、20年くらい・未来にタイムスリップしたい・・・






ザ・20世紀 パート2


・連合赤軍浅間山荘事件
長野県軽井沢で連合赤軍のメンバーたちが
管理人を人質に河合楽器浅間山荘に篭城し、警察隊が包囲した。


警察隊が山荘の破壊作業を行い突入、連合赤軍を逮捕して人質を救出した。
日本中がテレビに釘付けとなった 俺も見た・・

この事件は後に2002年映画化されて、
スイートロードはその時代の腕時計の貸し出しに協力しました。(主演、役所広司)
その時の時計はこれです。。




・ロッキード事件
アメリカのロッキード社が日本などの有力者に航空機の売り込みを
めぐって多額の資金をばらまいたことが暴露された。(わいろ)だね。
工作資金は約37億円という戦後最大の汚職事件となり、
”田中角栄前首相逮捕”とテレビ、新聞で大騒ぎでした。


俺は 田中角栄さんは結構好きだったね。
政治家の中では土建屋から這い上がり話し方も、
男らしく豪快で小さい事にはあまり気にしないタイプに見えた。
酒でも一度飲みたかったよ・・




・日航機「よど号」事件
羽田発福岡行日航旅客機「よど号」が赤軍派学生ら9人によって乗っ取られた。
犯人らの要求は朝鮮民主主義人民共和国への亡命でした。


福岡空港で一部乗客を解放した後、韓国の金浦空港に向かった。
ある政治家(名前忘れた・・)乗客全員とスチュワーデスの身代わりとなって
ピョンヤンに飛び、犯人を残して、その政治家と乗務員は帰国した。
(日本でのハイジャック第1号。)
このハイジャックの言葉が俺の耳に強烈に残り
今でも俺は飛行機に乗る時はこの言葉があたまの中を(フーッと)よぎるのだ・・

「世の中イヤな事件ばかりある訳ではない・・」




・グアムで元日本兵を救出
観光客でにぎわうグアム島の、ジャングルで、
愛知県出身の元日本兵・横井庄一さんが地元の漁民に発見された。
戦友2人はすでに死亡していた。


日航特別機で羽田空港に到着し、出征から31年ぶりで故国の土を踏んだ。
このニュースには、ビックリ、俺には接点はないが戦争の傷跡を感じたね。
後にあの小野田少尉も発見される。
あの小野田少尉には日本人の大和(魂)を強く感じさせられた。敬礼・・・・





・五つ子誕生
鹿児島市立病院で5つ子が誕生した。
排卵誘発剤を使っての妊娠で、5つ子は日本初。
父親はNHK政治部の三木首相の番記者。だったらしい。



全員が元気に退院したニュースは連日テレビで見ていた。
俺は、犬や猫じゃないだからそんな事あるのかと思ったが
科学の力だね。間違えた。医学だ・・
たまーに、テレビで見る事があるがそれぞれ家庭も
(家族)出来てよかったと心から思う。。

サァーこれで俺のブログは終わった・・
三週間ありがとう御座いました。
明日はスイートロードのスタッフ全員の紹介をしたいです。



それでは、「”昭和”の時代を駆けた時計たち」をお楽しみ下さい。






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俺の20代の頃はよく酒を飲んだ。
「サントリーレッド」「ハイニッカ」「アンクル トリスウイスキー\360円」

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お金が無いから一番やすいウイスキーだ。
そして極め付きはあの「ホッピー」だ・よく飲んだね。。



仲間と焼肉屋 あっ(ちがうホルモン焼肉屋)
ホルモン専門の店でお客は殆んど肉体労働者。
その時代は換気扇など無く店の中は煙で真っ白・・
当時のホルモンは安っぽい皿に乗せられ箸ではつかむ事はできない。
ブヨブヨなのだ・・



手先が器用な俺でも悪戦苦闘する・
一緒に飲んでる仲間が「お前なにやってんだよ、こうだろう。」
いきなり皿を斜めにして金網にザーッと流すのだ。
また、一瞬で店の中は消火器と催涙ガスが同時に破裂した様に・・
真っ白なのだ・
出口も分からない(喰らいなのだ。)レベルの高い、ダジャレです。



とにかくこのホルモン屋に来るといつも目から”涙”が出ないことは無かった。
それからは俺たちはホッピーの空箱をテーブルにして
ガスコンロを借りて外でいつも飲んでいた
単なる通行人もこのスタイルを見て店は大繁盛・・



店のオヤジは時々 ホルモンのサービスをしてくれた。
俺の記憶でホッピーは大ジョッキで23杯飲んでいる・・

この時代はスナックとかおしゃれな居酒屋はなかった。



大衆酒場とか、BAR(酒場)だ。
ホステスも2〜3人の小さなBAR が俺は好きだった。
カウンターの壁には何十本もの洋酒が並べられ映画のシーンみたいに、
チビチビ、ウイスキーを飲むのだ。(金が無いから)・・

ある日俺はとんでもない事をするのだ(下心はあった。)
カウンターの前にいるママに
「ビールの空箱をここにおいてよ」ママは?????



当時のビールは大瓶のみで箱は20本入りだった。
そして冷えたビールを飲んでは空箱に入れる。
どんどん飲んで どんどん入れる。箱がいっぱになって
「ママ、チェックして」計算書を見る前から予想はしているので
まったく酔ってはいないのだ。
ただその時は冬だったのでとても寒かった。
(財布の中はシベリアの寒冷地状態でした。)



アッ・・女の話するの忘れてた・・

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それでは、「”昭和”の時代を駆けた時計たち」をお楽しみ下さい。

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今回のテーマは「フィフティーズ」1950年代
俺は、アメ車のポスターを今でも何百枚も持っている・・
1956年の自動車広告。当時の流行である、
翼をイメージしたテールフィンが付いている



「フィフティーズ」とは、
1950年代アメリカの古き良き時代の文化を指しています。
この当時のアメリカでは
「ジェームス・ディーン」がスクリーンを飾り
「エルヴィス・プレスリー」がロックンロールを歌い踊っていた。
当時俺のまわりでも真似してリーゼントでキメていた・・・
ラジオから流れ出すロックや映画やテレビのスターにみんな憧れていた。
俺も憧れた・・



「テールフィン」翼ようなデザインのキャデラック
ファイヤーキングやモダンなデザインの家具や建築物
ボウリングやエレキギターも流行ったね。。
カテゴリーは様々だけど
数多くの”モノ”や”文化”がこの時代に生まれたね。。



この時代の”モノ”や”文化”は、今の時代にも多大な影響を与えて
しまっているぐらい重要モノなのです。

俺の経験上この年式(1950年代)を好む人は”熱狂的”だ・・
コレクターも多い・「ジーンズのコレクター」
「オモチャのコレクター」「アロハシャツのコレクター」
1950年代の「ヴィンテージ好き」は、とにかく”モノ”にこだわります。
そんな影響もあったのか、俺もアンティーク好きになったかも知れない。



1950年代のフォードの広告。
アメリカでは生活が豊かになり
「実用性重視」の時代から
デザイン性やアーティスティックな部分にも
目が向けられるようになった時期でした。



映画『理由なき反抗』のジェームス・ディーン。
かっこ良かったなー・・・
ジェームス・ディーンのファッションといえば
「リーゼント」に「ジーンズ」「赤いジャケット」
「エルヴィスプレスリー」も忘れてはいけません。
エルヴィスは、いろいろモノを飛び越えちゃった感じの大スターだったね。。。
映画「ブルー・ハワイ」が公開され
アロハシャツがブームになった事を記憶している。。。
フィフティーズ特徴である
ロックとカントリーが混ざり合った「ロカビリー」だ
俺もじつは12年〜13年くらいまではリーゼントで決めていました。
なぜ、やめたか?頭の前頭部の髪が後退しはじめたからだ。
今は柳屋ヘアートニックの愛用者なのだ。
60代の方には愛用者が多いと思います。





それでは、「”昭和”の時代を駆けた時計たち」をお楽しみ下さい。






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